映画「うつしみ」を観て気づいた大切なこと。

私は完璧主義だと思う。興味のないことに関してはかなり適当だが、興味のあることに関しては少しでも納得できない部分があると嫌。特に創作活動においては顕著だ。自分が完璧だと思える状態にしたいと常々思っている。

しかし映画「うつしみ」を観て、その考えに変化が現れた。

うつしみはなかなか粗い仕上がりの映画だった。映像にカメラマンが映り込んでいたり、血しぶきが飛ぶシーンでは明らかに体以外のところから血しぶきが飛んできたり。俳優さんや女優さんの演技もうまいとは言えなかった。しかし、そういった部分について私は大して気にならなかった。むしろここまで粗い仕上がりの映画を初めて観たので、逆に新鮮だった。

そして粗かったからこそ改めて気づいたことがある。それは粗さと作品の良し悪しは関係ない、ということ。音楽でもそうだが、作品が粗い粗くない、心に響く響かない、は必ずしも比例しない。しかも、心に響くかどうかは観る人(音楽の場合聴く人)の心理状態によって変化することを考えると、なおさらである。

しかし、作品を作っているとどうしてもそれを忘れてしまい、粗を排除して自分の納得するものを作ることで頭がいっぱいになってしまう。でも突き詰めて考えると、100%納得のいく作品なんて生涯のうちに作ることができるのか、はなはだ疑問である。しかし私はそれを求めてしまう。そして結局、少しでも納得できない部分があることが嫌になり、作品を世に出せなくなってしまう。粗を排除して自分が納得する作品ができたとしても、それが人の心に響くかどうかは別問題なのに。

これは私の弱点だと感じた。そして考えた。

粗を排除して自分が納得する作品ができるかどうかよりも、作品を作ったその瞬間に自分のベストを尽くしているか、ということの方が大事なのだ、と。あくまで「その瞬間に」である。そうじゃないと「明日にはもっとよくできるかもしれない」と考えてしまい、終わりがなくなってしまう。

そして、とにかく作品を人の目に触れさせることが大事なのだ。人の目に触れることによってなんらかの反応がある。それはもちろん好意的な反応だけではない。「全然良くなかった」「微妙」とか、さらには反応がないこともある。しかし反応がないことも反応のひとつ。その反応を受け止めて、今後の作品作りに活かすことが大事なのである。

自分が100%納得のいく作品を生涯のうちに作ることができるのかはわからない。でも唯一それに近づく手段があるとすれば、とにかく表現し続けること。そして人に評価してもらい、それを次に活かす。それしかないのである。

そしてそれが、真の完璧主義なのかもしれない。

うつしみは実験的な作品だった。ドキュメンタリーとドラマが混ざっている観念的映画だ。私はかなりおもしろいと感じた。でも人によっては、観始めたらすぐに観るのをやめてしまうかもしれない。それくらい尖っていて斬新な作品である。しかし、たしかに私の心には響いた。

うつしみが私の心に響いたように、私も、ひとりでも多くの人の心に響く作品を作ろうと思う。

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