哲学者・東浩紀著「弱いつながり」を読んだ。
本書は、冒頭に「哲学や批評に興味のない読者を想定した本」と書かれているとおり、とても読みやすかった。しかし内容は深い。だがしかし、メッセージはシンプル。一言で言うと、
「新たな検索ワードを探す旅に出よ!」
である。
このメッセージについて私なりにまとめたものが下記のとおり。
なぜ「新たな検索ワードを探す」必要があるのか。それは「検索ワードが変われば今までとは違う世界が開けるから」である。
私たちがネット検索をするとき、無作為に検索しているようで、していない。ネット検索をして表示されるものは、私たち自身が検索したワードに関連した情報か、今まで私たち一人ひとりが検索してきたワードを元にGoogleなどの企業が分析・予測した私たち一人ひとりが興味のありそうな情報。あくまで、「私たち一人ひとりが見たいもの」「(それらを元に)企業が規定したもの」しか表示されていないのである。
そこで、企業が予測できない「新たな検索ワードを探す」ことで、「今までとは違う世界が開ける」のである。また、なぜ「旅」なのか。それは「偶然に身を委ねて新たな欲望に出会う」ためである。
人間は環境の産物であり、環境に抵抗することはできない。私たちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい自らの環境から予測可能なことでしかない。しかし多くの人は、自らを「かけがえのない自分」だと感じてしまう。この矛盾を乗り越えて、人生をかけがえのないものにするための有効な手段。
それが「環境を意図的に変えること=旅」なのである。
本書には、東さんが実際に旅に出たときのエピソードを軸に、「新たな検索ワードを探す旅に出よ!」というメッセージの意図についてさらに掘り下げて書かれている。
私が特に印象に残った部分は、親子関係の偶然性の話。
私なりにまとめたものをざっくりメモ。
確率的にもっとも利益が大きい、と一般的に言われている人生を送ったところで、本当にそのとおりの人生を送っている人などいない。人生は事故や病気など予想外のトラブルに満ちている。計画的に生きていても、そのプランはちょっとの偶然ですぐに吹き飛んでしまう。
人生は偶然でできているのである。
その象徴は子ども。例えば同じ夫と同じ妻の子どもでも、精子と卵子の組み合わせが違うだけで遺伝子的に別人になってしまう可能性が高い。親子関係は偶然性の最たるものなのである。
これはとても共感した。
自分に置き換えて考えてみると、父と母が出会ったことも偶然であり、父の精子と母の卵子が出会ったのも偶然なのである。両親が同じだとしても精子と卵子の組み合わせが違っていただけで、生まれてきた子どもが「この私」ではない可能性が高い。そしてさかのぼると、祖父と祖母も然り、曽祖父と曽祖母も然り…。どこかで精子と卵子の組み合わせがひとつ違っていただけで、父・母・祖父・祖母も別人だった可能性があり、そうなるともはや私が存在しない可能性が高い。
ということで、「この私」がいるのは偶然の連続の結果であり、奇跡なんだと改めて思った。
そしてこの記事を読んでいるあなたとの出会いも偶然の連続の結果であり、奇跡なのである。
「人間は環境の産物」と東さんは書いていたが、私は本書を読んで「人間は偶然の産物」の方が言い得ているのではないか、と思った。
人間は偶然の産物。しかし環境から大きな影響を受けるため、環境にとりこまれて環境の産物のようになってしまう。
環境に取り込まれて環境の産物にならないため、偶然でできている人生をかけがえのないものにするために、原点に戻るべく偶然に身を委ねる旅に出よう。
私はこのように解釈した。
冒頭でも書いたとおり、本書はとてもわかりやすく、メッセージもとてもシンプル。
なので少し物足りなく感じる人もいるかもしれない。
でも私はそのメッセージを受けとり、様々なことを考えるきっかけをもらった。
読んでよかった。